昔というほど昔ではないが、私は終わっていると思っていた。
この話を書く理由は日を追って後述するつもりだが、今でもふと過ぎる苦しかった日々がある。
当時の私は三流大学をギリギリ卒業して、今思えば大した理由もなくフリーターになっていた。就職して人生を固定することが下らなく思えて、たいして努力もせずに何かしらのアーティストになろうと思っていた。根拠もなく、確証もなく、能力もなく。
大学の卒業をギリギリと書いたが、それは単位だけではなく学費もだった。
アルバイトを掛け持ちして、月12万の収入を目標に働きまくって何とか生活を成り立たせていた。卒業式はスーツが買えないからバイトの先輩に借りた。食料は賄いや、余った食材を持ち帰らせてもらっていた。就職活動など、到底できずその境遇を正当化する為に、就職することが、下らないと思い込んで笑っていた。
卒業後フリーターで食うために、パチンコ屋やイベント屋、派遣スタッフなどで働いた。
休みは月に4日程度で、アーティスト活動に休日とわずかな余剰資金を消化した。
しかし、そんな生活も2年ほど経つと状況は変わっていく。
バイト先の仲間と麻雀やパチンコ。なけなしの金でコンパ。金がないからシフトはパンパン。
税金の滞納や、家賃の支払いの遅延が始まる。
部屋も心も荒んでいく。食生活が荒くなる。髪をじぶんで切るようになる。服も買わなくなる。
荒廃が進むにつれ、会いたいと思える人が減る。自分を蔑むかもしれない人、家に足をつけて生活している旧友に会いたくない。発する言葉に血が通わなくなる。妥協が当たり前になる。
自分に必要なものがわからなくなる。他人の横着がやたらと癇に障る。
救いというには小さいが、そんな状況でも私は食欲と労働意欲は削がれなかった。
そのおかげで、大きなキャッシングなどをせずにすんだ。
タバコはともかく、酒に依存する体質でもなかった。
異性は好きだが、甲斐性は何とかあったつもりだ。
ある日、徹夜の麻雀で睡魔を量産して夕方まで眠ってしまった休日に、腹が減って外へ出た。近所の格安スーパーで値引きされたパンや惣菜を探す。
2つ買うと100円になるドリトスを手に取って店内を物色していると、強烈に桃の匂いを感じた。
ふと完熟の桃が並んでいる棚の前で、実家でお母さんが剥いてくれた桃を食べる光景が浮かんだ。
気がつくと頬には大粒の涙があった。
あんまり甘くないとか、切り方がどうだとか、文句を言いながら家族で貪っていた果物を思い出して、声こそ出さないようにできたが溢れる涙を止められなかった。
何やってんだ。オレ、何やってんだ。
格安スーパーでも、当時の私にはその桃は買える値段ではなかった。
終わっている。言葉にすると軽薄なフレーズだが、実感すると重い。
現状を後悔しようにも、具体的にどの日を振り返れば良いのかもわからない。
誰も教えてくれないし、助けてもくれない。
声はかけてもらえるかもしれないが、そもそも甘ったれて腐った果実の自分には反映されない。
鼻水をすすり、家に帰る。2つで100円のメロンクリームソーダを飲みながら、2つで100円のドリトスを食べる。1つで100円の価値もないような脳みその、満腹中枢が少し満たされる。
次の日も昨日までと同じ、欲望を自制できずギリギリ自生する日々を送るだけだ。
現状を忘れる術はあっても、変化させる力はない。なかった。できなかった。
何となくギターを手に取り、言葉を添える。
日々の泡という名前をつけた。当時は気に入っていた。
旧友からの電話に出る。何か肝心なことを隠しながら話をして、笑う。
この程度の話、たくさんの人が知った感覚だろうし自慢にもならない。
ただ、本人はさ、当事者はさ。
そうなりたくてなったわけではなく、足掻いてはいて、戦ってもいて。
客観すると何もできていなくて、自業自得なのだけどそれはその状況にいないから思えること。
今もこんな状況の人はいるだろうし、もっと辛い人もいるだろう。
私はメッセンジャーの素質はないが、拙い言葉で伝えたい。
脱却するには少しずつではなく、一気に変えた方が良い。
やり切るしかない。変わっても誰も褒めてはくれない。すぐに効果はない。
しばらくは苦しいままだし、とても辛い。
しかし、一気に変えて、辛いと思う1日を30回、60回、120回、365回と重ねていくうちに、いつの間にはやっと普通の状態に戻れる。
戻った時に、戻ったことを実感した時に思う。
当時よりも何倍も強烈に、オレ何やってたんだろう。
辛くない日々が普通になる。
給料日を考えなくなる。贅沢にそこまで興味がなくなる。一発逆転に関心がなくなる。
沢山の人を尊敬できる。自分の欠点を受け入れられる。
少しずつ変えた人はリバウンドする可能性が高い。
やるなら明日から、一気にをお勧めします。
そう書いて、自分も明日から新しい気持ちで頑張ろうと思います。